「スピントロニクス」って何?(その2)
(2019年11月15日)
「スピントロニクス」って何?前回では磁気ヘッドやMRAMなどスピントロニクスデバイスについて述べました。今回はスピンの流れなど、最近のスピントロニクスの話題を取り上げます。
ナノテクで検証されたスピンの流れ
電荷の流れが電流なら、スピンの流れであるスピン流もあるはずです。図1に示すように強磁性体から非磁性体に向かって電子を流すとき、↑スピンをもつ電子が強磁性体から非磁性体へ移動しますが、本来非磁性体の中では↑スピンと↓スピンの電子の数は等しいので、界面からスピン拡散長λs離れたところまでは ↑スピンの数と↓スピンの数にアンバランスな状態が生じ、スピン注入が起きます。このような電流に伴うスピンの流れを電流スピン流といいますが、スピン拡散長はサブミクロンなので、スピン流はナノテクノロジーの進展があって初めて実験的に検証されました。
もし、図2に示すように、↑スピンの電子が右方向に進み↓スピンの電子が左方向に進むとすれば、電荷の流れとしての電流は流れませんが、スピンだけを見ると、↑スピンは右側に、↓スピンは左側に流れますから、Js=J↑-J↓で定義されるスピン流は右に向かって流れます。このように電流を伴わないスピンの流れを純スピン流と呼びます。
スピンホール効果と逆スピンホール効果
スピン流の性質を端的に表しているのがスピンホール効果です。普通のホール効果は磁場の下にある電子やホールがローレンツ力で電流に垂直な方向に曲げられる効果ですが、スピンホール効果ではスピン軌道相互作用という効果によって、電流を流すだけで、↑スピンと↓スピンの流れが左右に分離され、電流に垂直の方向にスピン流が生じます。一方、スピン軌道相互作用の大きな導体にスピン流を流すと、垂直方向に電場が生じることが発見され、逆スピンホール効果と名付けられました。熱スピン流によるスピンゼーベック効果の検証など、スピン流の検出に「逆スピンホール効果」が大きな役割を果たしました。
新しい熱電素子をもたらすスピンゼーベック効果
温度勾配のもとにおかれた2つの導体が異なるゼーベック係数をもつときに、温度差に依存する電圧が得られます。一方、温度差をつけた1本の導体中で↑スピンは右方向に流れ、↓スピンは左方向に流れ、電荷の流れは打ち消され、熱勾配の方向にスピン流のみが流れます。このスピン流を逆スピンホール効果で検出すれば、電圧として取り出すのがスピンゼーベック効果です。従来の熱電素子は、pn接合という複雑な構造が必要です。また、従来型の熱電変換は熱流と電流が平行であったため、性能に限界がありました。これに対しスピンゼーベック効果は熱流と電流が垂直方向であるため、非常にシンプルな構造で高い変換効率が得られると期待されています。
最近のスピントロニクスの話題
最近トポロジカル物質が注目されています。例えば、トポロジカル絶縁体では内部は絶縁体なのに表面には金属的な状態が現れ、↑スピンと↓スピンが逆方向に流れ、スピン流が生じているので、高効率のスピン源として注目されます。また、トポロジカル反強磁性体における仮想磁場を利用したスピントロニクス素子の高密度化や高速動作などが期待されています。特に、ワイル反強磁性体であるMn3Sn やMn3Ge などにおいて、反強磁性体では発現しないと考えられてきた異常ホール効果、異常ネルンスト効果、磁気光学効果などが、電子構造のトポロジーを起源として出現することが報告され、反強磁性スピントロニクスに注目が集まっています。また。実空間でトポロジーに保護された磁気構造であるスキルミオンは、レーストラックメモリ活用に向けた研究が進められています。
ダイヤモンドにおける炭素空孔 (V) と窒素原子 (N) で構成されたNV-中心は、ダイヤモンドの広いバンドギャップにより深い欠陥準位を形成しているため、室温で動作する有望な量子情報デバイスとして注目を集めています。ダイヤモンド中の電子スピンは、数十ナノメートル程度の局所領域に閉じ込めることが可能であり、磁場や電場や温度を高い精度で検出できることから、ナノスケールの物質構造や生体構造を高精度でイメージングできるとされる量子センサーへの応用が期待されています。
ヒトの脳でのニューロンとシナプスによる情報処理を模倣したニューロモロフィック・コンピューティングは、脳が得意とする認識や学習といった膨大で曖昧・不完全な情報の処理を低消費電力で高速に実行できると期待されています。半導体素子を用いた従来型計算機では、膨大な演算量となり消費電力も膨大になります。半導体素子を置き換える次世代演算素子として、微小磁性体を用いた磁性論理演算素子が開発されています。
科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)
ナノテクノロジー・材料ユニット 特任フェロー
佐藤 勝昭
【参考資料】
1) JST CRDS:研究開発の俯瞰報告書「ナノテクノロジー・材料分野(2019年)」2. 3. 4 スピントロニクスpp.258-264
2) 佐藤勝昭:スピントロニクスとは 電気学会誌, 139, [9], (2019), pp. 589-594
3)佐藤勝昭:磁気工学超入門(共立出版、2014)第4章4.1 pp.89-111
佐藤 勝昭(さとう かつあき)
1968年 京都大学大学院工学系研究科修士課程修了。1966年NHK入局。基礎研究所での磁性半導体研究で1978年工学博士学位取得。1984年 東京農工大学工学部助教授。1989年同教授。2005年同副学長。2007年同名誉教授。2007年より2013年までJST戦略創造事業さきがけ「次世代デバイス」研究総括。2008年から2019年までJST研究広報主監。2010年からJST研究開発戦略センターフェロー、2019年から現職。2017年から文部科学省「ナノテクノロジープラットフォーム」のプログラムディレクター。専門は、半導体光物性、磁気光学、スピントロニクス。