[編集発行] (公財)つくば科学万博記念財団 [協力] 科学技術振興機構(JST)・文科省研究交流センター

つくばサイエンスニュース

ここに注目!

公私のあいだ、「助けて」のサイン:安全な暮らしをつくる取り組み

(2019年12月01日)

1. はじめに   

 ドメスティックバイオレンス(DV)、児童虐待、高齢者の孤独死、ネットいじめ……。こうした問題の多くが、家庭やインターネットの中の、見えにくいところで起きており、支援機関の介入が簡単ではありません。では、どうすれば発見しづらい問題を明らかにし、解決できるのでしょうか。
 社会技術研究開発センター(RISTEX)で2015年に開始した「安全な暮らしをつくる新しい公/私空間の構築」研究開発領域では、13の研究開発プロジェクトを推進しながら、この問題に取り組んでいます。
 ここでは、本領域が、発見・介入しづらい空間や関係性で起きている問題をどのように捉え、「安全な暮らし」の創出に向けてどのような取り組みを実施しているか紹介します。

 

2.埋もれてしまう「助けて」の声 

 近年の我が国では、刑法犯の認知件数は減少していますが、DVや児童虐待事案が増加傾向にあることに加え、特殊詐欺の被害額が高水準で推移するなどの傾向がみられます1)。さらに、サイバー空間での関係性に由来する誘い出しやネットいじめなどの事件も増加傾向にあります。これらが生じる「場」に着目すると、密室化した家庭やインターネットの中の外部から見えにくい場所で生じているという特徴がみられます。
 こうした問題が顕在化してきた背景として、少子高齢化、世帯の小規模化などの人口・社会構造的な変化により、家庭や地域社会が有していた安全機能が対応しきれなくなっていることがあるでしょう。身近なところで「助けて」の声が上げにくくなっているのです。また、これらの多くはプライバシーに深く関わる問題なので他者に言いづらく、一人でいると問題を抱えていることにすら気づかない場合もあります2)。生活上の問題を抱えながら「助けて」と言えないと、問題は長期化し、より複雑化してしまいます。

 

3.DV、児童虐待、詐欺被害など事象を横断した取り組みで何が生まれるか 

 個々の事象に対しては、官・民で様々な対策や取り組みが進められています。「法は家庭に入らず」という法格言がありますが、多様なセクターによる社会的な介入や支援は広がってきており、「親密圏」に対する社会の認識は過渡期にあるといえるかもしれません。
 一方で、DV、児童虐待、詐欺被害、ネットいじめなどを横断的な視点で議論していくことは活発といえない状況があります。表面化した事件のみを解決するだけではなく、より根本的には孤立する人や緊密な関係性のみに閉じこもりがちな人を社会で支えあうことが重要になる点は、どの問題にも共通していると考えられます。事象を横断する背景要因、対処を阻む共通の課題、類似の技術の活用可能性などを検討することで、問題解決の新たな方法が創出できないか――領域の狙いはここにあります。

 

4.科学的知見を駆使して、多面的なアプローチを、現場と連携しながら 

図1 13の研究開発プロジェクトのポートフォリオ

 領域では、図1にあるように、研究開発プロジェクトを公募により採択して全体を運営しています。ここで、具体的なイメージをお伝えするために研究開発プロジェクトの取り組みを一例だけ簡単に紹介しておきます。
 「養育者支援によって子どもの虐待を低減するシステムの構築」研究開発プロジェクトでは、子どもの虐待防止には養育者(親をはじめとする子どもの周囲の大人たち)への支援が重要であり、そのためには生物科学と社会科学が連携して科学的根拠(エビデンス)を示していく必要があるとの認識のもとに研究開発を進めました3)。そして、養育者支援の拡充に関連する複数の論文などを発表するとともに、実際の支援現場で研究成果を活用していくための取り組みも行っています。

写真1 福井大学、大阪府こころの健康総合センター、枚方市、豊中市の関係者とRISTEX領域アドバイザーらが出席する協働事業会議の様子

 写真1のように、福井大学子どものこころの発達研究センターと大阪府こころの健康総合センターが協働し、同府の枚方市と豊中市の協力のもとに事業を進めています4)。子育て困難に陥る前に、養育者が抱える健康・育児・生活・経済・家族などの状況を早期に把握し支援する予防対策が重要であるという観点から、母子保健、精神保健、児童福祉などの異なる専門領域の職員が「マルトリートメント防止」を共通認識にして知識を共有していくことを当面の目標にしています。体罰などが子どもの脳へいかに影響するか、養育困難感が高まると親の脳にどのような影響があるかなどの脳科学による科学的知見と、実際の支援現場での対応のQ&Aなどをあわせて伝えていくことで、行政職員の対応力が向上するよう取り組んでいます。
 このように、プロジェクトはそれぞれに個別の問題を深掘りしていますが、例えば、エビデンスに基づき議論や理解を醸成するための方策、多機関・多職種が連携する方策などは、他の事象を扱うプロジェクトでも別の角度から研究開発をしています。領域では、こうした多くのプロジェクトに共通する取り組みや課題を抽出し、個別の事象を越えた、発見・介入しづらい空間や関係性で起きている問題の解決策を提示できるよう検討を進めています。

 

5.おわりに 

 山田肇 領域総括(東洋大学 名誉教授/NPO法人情報通信政策フォーラム 理事長)は、研究開発プロジェクトに対して「最終的な目標は論文や学会での発表だけではなく社会実装であること、そのために現場とともに研究開発を進めること」を絶えず問いかけています。研究開発の成果が実社会で使われる道筋は容易ではありません5)。また、領域としてのプログラム成果をどう提示するかも難しい課題ですが、領域に関与する全ての人が「安全な暮らし」に向けた思いを一つに2023年まで取り組みを進めます。領域の最新情報や研究開発プロジェクトの詳細は、領域WEBサイトhttps://www.jst.go.jp/ristex/pp/index.htmlで紹介しています。

 

註 

1) 近年の犯罪情勢の分析は、警察政策学会犯罪予防法制研究部会『「これからの安全・安心」のための犯罪対策に関する提言(「これからの安全・安心研究会」報告書)』警察政策学会資料,71号,2013.7を参照。

2)助けを求めることができることを「援助希求能力」といいます。この問題を知りたい方は、松本俊彦編『「助けて」が言えない SOSを出さない人に支援者は何ができるか』日本評論社,2019などが参考になります。

3)同プロジェクトのこれまでの取り組みは、https://www.jst.go.jp/ristex/pp/project/h27_1.htmlに簡潔にまとめています。

4)笹井康典,友田明美,松岡太郎,白井千香,籠本孝雄「子ども虐待防止対策は今のままでよいのか」『公衆衛生情報』vol49/No5,2019.8,pp.24-25、友田明美『親の脳を癒やせば子どもの脳は変わる』NHK出版,2019などを参照。こうしたプロジェクトの取り組みは、異なる分野や立場で共通の目標を設定し、統合的なアプローチを行うトランス・ディシプリナリー研究の具体例ともいえます。

5)本領域では研究開発の成果を速やかに社会で活用できるよう「研究開発成果の定着に向けた支援制度」を設けることで社会実装を促しており、本稿で取り上げた養育者支援プロジェクトも本制度を利用しています。また、RISTEXのこれまでの社会実装の取り組みの経験やノウハウの一部をまとめたものとして、JST-RISTEX[研究開発成果実装支援プログラム]編『社会実装の手引き―研究開発成果を社会に届ける仕掛け』工作舎,2019があり、参考になります。

 

科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター(RISTEX)
アソシエイト・フェロー
藤井 麻央

 

藤井 麻央(ふじい まお)

2015年よりRISTEXアソシエイトフェロー。東京工業大学 環境・社会理工学院 社会・人間科学系 博士課程、専門は宗教社会学。