006.高湿度でも髪型を維持するスタイリング材料(物質・材料研究機構 機能性材料研究拠点 独立研究者 (スマートポリマーグループ併任) 宇都 甲一郎さん)
(2024年3月15日)
形状記憶(けいじょうきおく)というとシャツや眼鏡(めがね)のフレームが知られているが、実は自然界にも存在する。
例えば松ぼっくりは晴れた日には松かさが開き、雨の日には自然に閉じる。こう聞くと「私の髪も松ぼっくりだったら良かったのに」とこぼす人もいるかもしれない。そんな人のために宇都 甲一郎さんらの研究グループは、湿気に反応してセットを回復してくれるスタイリング材料を開発した。
形状記憶樹脂を化粧品に応用
毛髪の主成分であるタンパク質は、熱や化学物質などの影響を受けやすい。特に水分は大敵で、雨の日や発汗時などは湿気を吸って重くなり、せっかく時間をかけてセットした髪型も、カールが伸びたり毛先が広がったりして崩れやすい。ヘアスプレーやジェルなどのスタイリング剤は、髪をコーティングして保護してくれるが、湿気に対しては必ずしも万全とはいえなかった。
宇都さんらは、長年の研究対象だったプラスチックの一種、ポリビニルアルコール(PVA)を使い、湿度に反応して形状記憶効果を発動する材料を開発した。
「PVAは熱応答性の形状記憶効果で知られているが、それだけでなく湿度応答性も併せ持つ。熱ではなく湿度によって形状記憶効果を駆動させれば、スタイリング剤に応用できると考えた。」と宇都さん。
プラスチックの多くは、温度条件によって状態が変わる性質がある。PVAの場合は常温では硬いガラス状態だが、60~80℃の条件では軟らかいゴム状態になる。この転移点を「ガラス転移温度」という。一方、PVAには吸水性もあり、水分を取り込んで膨張・軟化することで、常温でもゴム状態になれる。
ゴム状態のときに力を加えると容易に変形し、その後、温度が下がるか水分を失うかしてガラス状態に転移すると、変形したままの形で固定される。そこから再びゴム状態になると、変形前の最も安定的な形に戻ろうとする。これがPVAの形状復元の原理だ(図1)。
図1
ただしPVAの吸水性は非常に高いため、際限なく膨張・軟化が進み、最終的には水に溶けてしまう。こうなると形状復元もされなくなる。この欠点を補うため、PVAとセルロース微結晶(CM)を複合させた新材料「PVA/CMコンポジット」を開発した。
「PVAの水吸着は、分子同士が水素結合により緩く結び付いているため、水が入ると容易に壊れ、水素結合が水分子に置き換わることで生じる。だがPVA/CMでは、より強固な水素結合が形成され、水分子の侵入を抑制する。このためある程度のところで膨張・軟化が止まり、形状記憶効果を維持できた。」(図2)
図2
優れたスタイリング性能を発揮
実験では、数種類のPVA/CM溶液を髪束に塗り、ヘアアイロンで縦巻きにセットしたところ、CM含有量が多いものほどカールが維持された(図3-1)。次に、重りを吊るして巻きを崩した後、80%の湿度にさらしたところ、PVA/CMを塗ったものは髪束の広がりが抑制されただけでなく、1時間で1割ほどの形状回復効果を示した(図3-2,3-3,3-4)。また、髪に塗ったPVA/CMは温水やシャンプーで容易に洗い流せることも分かった。
製品化に向けてはいくつかの課題もあるという。ヘアスタイリング剤では髪型の維持だけでなく、香りや触り心地も重要な指標。指通りが良くナチュラルヘアのようなふわふわの触感を維持するには、オイルや香料などの添加が必要となるが、それらが性能に影響する可能性もあるという。
「原材料はいずれも人体に無害で、CMは天然植物由来。PVAは生分解性プラスチックとしても知られ、土壌中の微生物により水と二酸化炭素に分解される。ただし石油由来なので、いずれは天然由来物質に置き換えたい。時代の要請もあり、化粧品ではナチュラルなものを使いたい。」
良い基礎から良い応用を生む
物質・材料研究機構(NIMS)での宇都さんの研究分野は、何らかの刺激によって性質を変える高分子「スマートポリマー」。その中でも形状記憶を専門に扱ってきた。主に医療・メディカル分野への応用を考え、名古屋大との共同研究で、心筋梗塞を再生治療する心筋パッチや、小さく丸めた状態で血管内へ送り込み、患部で伸展するステント材料などを開発している。
医療分野は実用化までの道のりが長い。そこで美容・化粧品分野でも使えないかと検討を始めた。
「形状記憶は化粧品では未開拓。日本ロレアルから素材を提供してもらい、髪と皮膚に対して研究を始めた。皮膚の方ではしわ・たるみを隠すための形状記憶ファンデーションを開発中だ。」
高分子「スマートポリマー」の医療・メディカル分野への応用
実は、大学時代は劣等生だったという。転機となったのは学部での卒業研究のとき。当初は、熱制御で薬物を透過する膜材料を開発する予定だった。狙った温度で材料の性質を変えるのは非常に難しい。そこでテーマを変更し、形の違う2種類の高分子を混ぜることで、それを自在かつ精密に制御する方法を明らかにした。
「選んだ研究テーマで2か月ほど死ぬ気で専念し、結果が得られてすごく楽しいと感じられた。論文は学会で賞をもらい、周囲の評価も一変した。この経験が自分を変えたと思う。自分で考えたことを遂行し、世界で初めて結果を知ることができる。その魅力に気付き、研究者の道を進みたいと思った。」
当時は、地道にものと向き合う応用研究よりも、目に見えない分子レベルのことを頭の中で思い描く基礎研究の方がかっこいいと思っていた。ものとして見せるのも重要だと、後から気付いたという。
「NIMSではよく『使われてこそ材料』と言われる。いい応用にはいい基礎が必要で、両者を分ける必要はない。製品化・実用化を目標に、まだ誰も分かっていないサイエンスをやりたい。ハードルは高いが、その2つをやりがいに研究している。」
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・つくばサイエンスニュース トピックス 「高湿度下でもセットが乱れないヘアスタイリング材料開発」
池田 充雄(いけだ・みちお)
ライター、1962年生。つくば市内の研究機関を長年取材、一般人の視点に立った、読みやすく分かりやすいサイエンス記事を心掛けている。