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農業生産性の向上に役立てられるか?! 植物が持つ幹細胞が花へ分化し始める仕組みを解明

(2023年6月01日)

 私たち人間の体は約37兆個の多種多様な細胞で成り立っていますが、元々は1つの受精卵であり、これが細胞分裂を繰り返すことで、臓器、組織それぞれを形作る細胞になります。ただし、私たちの体は成熟した細胞だけではできておらず、様々な臓器、組織の細胞になる能力を備えた「幹細胞(かんさいぼう)」が存在することが知られています。

 幹細胞は、様々な臓器、組織の細胞になる「分化」の能力だけでなく、細胞分裂によって同じ能力を持つ幹細胞を無限に増やす「自己複製」の能力も持っています。こうした能力に注目して、近年、幹細胞を利用して病気や怪我で損なわれた臓器、組織を回復させる再生医療の研究が活発に進められる一方、植物もいろんな種類の幹細胞を持っていることから、農業生産性を高めるのに植物の幹細胞を利用する研究が進められています。

 奈良先端科学技術大学院大学、中部大学、九州大学、チェコ共和国のプラハ・カレル大学の研究者が参加した国際共同研究グループは、幹細胞を利用して植物が花を作り始める時期を操作して農作物の収量を増やすことはできないかと研究開発を進めています。

 過去の研究で、幹細胞が花びらや雄しべ、雌しべといった花を形作る組織の細胞に分化し始めるのにAGAMOUS(以下、AGと略す)という分子が関わっていることを明らかにしていました。このAGが働いて、細胞分裂を繰り返した後、幹細胞が花の組織に分化する遺伝子も働き始めていたのです。しかし、これまでの研究では、この仕組みで制御される遺伝子は1つしか見つけられておらず、その背後にある仕組みも詳しくは分かっていませんでした。

 これでは農業生産性を向上に利用しようとも、幹細胞をどのように使えばいいかは分かりません。

 そこで研究グループはモデル植物のシロイヌナズナの幹細胞を用いた実験を行いました。AGが働いた後に生じる幹細胞の分化に必要な遺伝子群を探索するとともに、DNAが細胞核に収納できるように折りたたむ際に、DNAを巻き取るヒストンというタンパク質に起こっているメチル化という化学的な変化も調べました。

 ヒストンタンパク質のメチル化は植物だけでなく、様々な動物で起こっており、メチル化が起こると、その部分に巻かれている遺伝子が働けなくなり、逆にメチル化がなくなると遺伝子が働けるようになることが知られています。そして研究の結果、ヒストンタンパク質を構成するアミノ酸のうち、27番目に位置するリジンというタンパク質に3つのメチル基が付く「H3K27me3」というメチル化が起こっているヒストンの数と、幹細胞の分化に関わる遺伝子が働く時期に相関があることが明らかになりました。

 例えば、幹細胞の分化に関わる遺伝子のKNUとAHL18には、いずれもH3K27me3があるヒストンが3つあり、遺伝子が働くまでかかる細胞分裂の回数はほぼ同じでした。一方、PLATZ10と呼ばれる遺伝子は、KNUやAHL18よりもH3K27me3があるヒストンが多く、遺伝子が働くようになるまでに必要な細胞分裂の回数も多く、メチル化したヒストンが多いほど、分化に関わる遺伝子が働くようになるのに必要な細胞分裂の回数も多くなるという法則が見出されました。

 この法則が正しいことを確かめるため、研究グループはシロイヌナズナの幹細胞で人為的にH3K27me3があるヒストンを増やして、KNU遺伝子の発現がどう変化するかを調べました。するとH3K27me3があるヒストンを増やさない幹細胞では、細胞が分裂するほどKNUに発現量が増えるのに対して、H3K27me3があるヒストンを追加するとKNUの発現が抑えられることが判明し、法則が正しいことが確かめられました(図)

図 人為的にH3K27me3があるヒストンを加える実験を行ったところ、ヒストンを加えていない幹細胞(a)では、細胞分裂が繰り返されることで幹細胞の分化に関わるKNUが増えているのに対して、H3K27me3があるヒストンを3つ加えた幹細胞(b)、6つ加えた幹細胞(c)ではKNUはなかなか増えませんでした。 ©奈良先端科学技術大学院大学

 

 今後、明らかになった法則に基づき、植物の幹細胞のより詳しい仕組みが明らかになるだけでなく、その仕組みを利用して農作物の開花時期を操作して、収量を増やすなど、農業生産性の向上に役立てられるかもしれません。

 

【参考】

奈良先端科学技術大学院大学プレスリリース

斉藤 勝司(さいとう かつじ)

サイエンスライター。大阪府出身。東京水産大学(現東京海洋大学)卒業。最先端科学技術、次世代医療、環境問題などを取材し、科学雑誌を中心に紹介している。