[編集発行] (公財)つくば科学万博記念財団 [協力] 科学技術振興機構(JST)・文科省研究交流センター

つくばサイエンスニュース

ここに注目!

中国の科学技術を支える国際的な頭脳循環

(2018年6月15日)

「中国からの留学生数と帰国者数の変遷」
(「中国統計年鑑」2017, 21-10 研究生和留学人員情況 をもとに筆者作成)

 米国と覇を競うまでに成長した中国の科学技術力。そのプレゼンスの急激な高まりは、予算増加だけでなく、優秀な人材の急激な増加とそのグローバル規模でのネットワーク構築、頭脳循環にも起因するところが大きいと思われます。

 中国共産党政府の海外人材呼び戻しの歴史は1950年代に遡ります。そのうち最も有名な例は、中国の宇宙開発・ロケット開発の父と呼ばれ、中国では名を知らぬ者はいない程の尊敬を集める錢学森(せん がくしん)博士です。博士は、1934年に公費留学で米国航空工学の権威セオドア・フォン・カルマン教授に師事し、1947年には36歳の若さでカリフォルニア工科大学の教授に就任し、その後、アメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙開発計画に携わるジェット推進研究所(JPL)の共同設立者として、欧米でその名を知られるようになりました1)。彼は、1955年に家族と共に帰国し、国防部第五研究院や中国科学院力学研究所において、中国の宇宙開発を牽引し、1970年に中国初の人工衛星打ち上げに貢献しました2)。ちなみに、錢学森博士の従兄弟には米国MITで空気力学を学び、ボーイング社に勤務し米国籍を取得した錢学榘博士が、その息子に、2008年に下村脩博士らとともに「緑色蛍光タンパク質の発見と開発」でノーベル化学賞を受賞した生化学者ロジャー・チェン(錢永健)がいます。

 毛沢東時代、新中国の研究開発の中心だった「両弾一星(原水爆、ミサイル、人工衛星)」推進に貢献し、勲章を授与された23人のうち21人が欧米留学経験者でした。彼らが、欧米で成功を収めた後、帰国して中国の発展に尽くした最初の世代といえます。しかし、彼ら戦後世代までは、裕福な家庭に生まれた一部の者や、ごく少数の公費留学生にしか留学の機会はありませんでした。

 1977年に文化大革命が終わり、中国共産党政府が国をあげて科学技術における国際協力の再開と研修生の海外派遣を始めました。1978年には欧州原子核研究機構(CERN)、マックス・プランク(独)、ドイツ学術交流会(DAAD)、フランス国立科学研究センター(CNRS)、英国王立協会との研究協力を開始しました。1980年には、ノーベル物理賞受賞者で、日・中・米間の学術交流促進に寄与したことが認められ旭日重光章を授与された李政道(T. D. Lee)教授の呼びかけで、中国-米国物理学大学院生共同育成プログラム(CUSPEA)が始まり、選抜された優秀な大学院生が米国に留学し、その多くは現地で就職、活躍を続けています。この頃、中米国交正常化により、政府の政策に頼らず個人の努力と米国側の奨学金で留学し、現地にとどまる人材も増え、2013年には中国の科学技術系留学生が現地に残る率は87%にまでなりました3)

 一方で、中国国内では科学技術の振興のための優秀な人材のニーズが高まり、その不足を補うため、外国に出た優秀な人材を好待遇で呼び戻す政策も始まりました。1994年には中国科学院の「百人計画」、2008年には百人計画をはじめとする各種人材呼び戻し政策を統合・強化する形で中国共産党中央委員会組織部の「ハイレベル海外人材招聘計画(通称:千人計画)」が実施され、国内の人材育成強化に加え、海外からの人材招致が加速されました4)

 有望な若手を外国に送り出す政策も継続して行われています。2007年には国家留学委員会の「国家高水準大学建設向けの公費留学生プログラム」が設けられ、同年から2011年までの五年間、国内の一流大学から毎年五千人の優秀な学生を選抜し、外国の一流の大学、専攻、指導教員のところへ派遣することになりました5)。同プログラムはその効果が評価され、2011年以降も継続して留学生を送り出しています。

 このように、中国では文化大革命収束後、一貫して国策として有望な若手の外国派遣と成功した人材を好待遇で呼び戻す政策を行い、中国国内や世界中に高度な中国系科学技術人材の厚い層を形成してきました。その中には、国家の後押しを受けずに個人の資金や能力で外国に出た優秀な若手中国人も相当数含まれていると思われます。2016年において、外国へ留学した中国人大学院生は54万4500人、大学院留学から帰国した研究者は43万2500人6)と、日本人の海外留学者数7)をはるかに上回ります。この中から、世界を股にかけて活躍する人材が今後ますます増え、国をまたいだ中国系研究者間の活発な共同研究などにより、世界の科学技術界における中国のプレゼンスのさらなる強化に貢献していくと思われます。

【参考資料】
1)The New York Times, Qian Xuesen, Father of China’s Space Program, Dies at 98 (2009.11.3) https://www.nytimes.com/2009/11/04/world/asia/04qian.html
2)「中国科学院」林、丸善 2017年
3)人民日報、中国高端人才流失率居世界首位(2015年7月15日)http://world.people.com.cn/n/2015/0715/c1002-27309934.html
4)研究開発の俯瞰報告書 主要国の研究開発戦略(2018年)JST-CRDS, p.170
5)「中国教育年鑑」2008年版、455頁
6)「中国統計年鑑」2017, 21-10研究生和留学人員情況
7)文部科学省 「外国人留学生在籍状況調査」及び「日本人の海外留学者数」等について 
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/1345878.htm
平成29年12月27日 (別添2)日本人の海外留学状況

 

科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)
海外動向ユニット
新田 英之、周 少丹

 

  新田 英之(あらた ひでゆき)
   2002年東京大学工学部卒。キュリー研究所(パリ)、ハーバード大学、名古屋大学、
   米国コンサルティング会社等を経て現職。工学博士(東京大学)。

 

 

周 少丹(しゅう しょうたん)
 2002年中国大連外国語大学卒、2009年早稲田大学社会科学研究科修士課程修了、
 2015年に同研究科博士課程修了。2014年から現職。