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ドイツのイノベーションシステム ~フラウンホーファーが具現した科学と技術の両立~

(2018年3月01日)

出典:©Deutsches Museum

 ヨーゼフ・フォン・フラウンホーファー(Joseph von Fraunhofer)は1787年にドイツ南部、現在のバイエルン州に生まれました。太陽光の可視光スペクトルの中に黒い線(フラウンホーファー線)を発見し、線の波長を計測するなど、光学の分野で功績のあった物理学者で発明家としても知られています。実は、この黒い線の存在は、フラウンホーファーが発見する10年以上前にイギリスの科学者によって明らかにされていました。もし当時ノーベル賞があれば、先に発見したイギリスの科学者ウィリアム・ウォラストンが受賞したかもしれません。しかしながらフラウンホーファーの科学への貢献は未知の線を見つけたことだけではなく、太陽光観測のためのプリズム分光器を制作、研磨技術の革新に努め、暗線を計測したことです。さらに大型の天体望遠鏡に必要な精度のガラス製作が可能になったことで、肉眼で見ることができない太陽系惑星の海王星発見につながります。ミュンヘンのドイツ博物館には、フラウンホーファーの天体望遠鏡が展示されています。後にフラウンホーファーはバイエルン国王マクシミリアン1世の庇護のもと、ミュンヘンで高品質なクラウンガラス、フリントガラスの製造に成功し、会社を設立して光学機器を販売します。残念ながら病を得て39歳の若さで亡くなりますが、ドイツの光学産業はその後もカールツァイス、ライカといった世界的なメーカーを生み、脈々と続いてきました。ちなみに日露戦争の日本海海戦で東郷平八郎が使用したツァイス社の双眼鏡は、今でも横須賀の「三笠」艦内で観ることができるそうです。双眼鏡の性能が海戦の勝敗に大きく影響したともいわれていますので、ツァイス社のレンズの高い技術力が容易に想像できます。

 このように、科学と技術の両方で高いレベルを誇るという伝統が、今もドイツの科学技術システムに息づいています。すなわち、未知の物質を発見したり、謎を解き明かしたりするだけでなく、それを可能にする高い技術を磨くことと産業につなげていくという強い精神こそがドイツのイノベーションを支えているといっても過言ではありません。これが世界最高峰の科学力を誇りながら、産業への橋渡しに課題を抱えると言われる英国との違いだと指摘する人もいます。

 天文学に大きな足跡を残し光学産業の礎となったフラウンホーファーの名前は、第二次世界大戦後の1949年バイエルン州ミュンヘンに設立された公的研究機関に冠されました。これが「フラウンホーファー応用研究協会(以下、フラウンホーファー研究所)」です。ドイツの戦後復興とめぼしい地下資源をもたない同州の産業創出を支援するために応用研究に特化した研究機関として設立され、来年創立70周年を迎えるフラウンホーファー研究所は、全国に68カ所(2018年1月現在)の研究所を持ち、2016年には年間予算20.8億ユーロあまり(2,810億円)で、職員の総数は24,000名を超えています。企業から委託された研究開発を行うことで、企業の中でも社内に研究開発部門を持たない中小の製造業を支えています。ほとんどの研究所が大学の敷地内や隣接した地域にあり、所長が大学教授を兼任しています。研究の担い手は博士課程に所属する学生で、大学で研究を行う傍らフラウンホーファー研究所で実用的な研究開発をしています。100年以上まえにヨーゼフ・フォン・フラウンホーファーが具現した科学と技術の両立を、現在は彼の名前の付いた研究所で若手研究者が実施しているのです。今やフラウンホーファー研究所はドイツのイノベーションシステムを語る上で欠かせない存在になっています。ドイツにおいては科学研究とイノベーション創出は密接な関係にあり、高品質で堅牢な製品を次々に生み出しているのです。

筆者撮影

科学技術振興機構(JST) 研究開発戦略センター(CRDS)
海外動向ユニット フェロー 
澤田 朋子

澤田 朋子(さわだ ともこ)
 国立研究開発法人科学技術振興機構 研究開発戦略センター海外動向ユニット フェロー 2000年ミュンヘン大学政治学部大学院修了。専門は国際政治学、経済地理学。2013年より現職。