[編集発行] (公財)つくば科学万博記念財団 [協力] 科学技術振興機構(JST)・文科省研究交流センター

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ここに注目!

「科学技術イノベーション政策とELSI、RRI、そして共創」

(2020年3月01日)

 AIやゲノム編集のような近年の科学技術の発展は、その影響がかつてないほど大きく、様々な恩恵をもたらす一方で、生命倫理や雇用など、社会に負の影響を与えることも懸念されています。このように科学技術と社会の関係が深まる中で、ELSI(Ethical, Legal and Social Issues:倫理的、法的、社会的課題)やRRI(Responsible Research & Innovation:責任ある研究・イノベーション)といわれる取組に注目が集まっています。

図1 科学技術イノベーション政策と社会の関係概観

 

米国におけるELSIの誕生と発展

 科学技術は産業発展や経済成長に重要な役割を果たしてきましたが、同時に、公害や薬害問題、原子力事故、環境問題など負の影響ももたらしてきました。このような研究開発の成果が社会に与える倫理的・法的・社会的課題をあらかじめ検討する取組がELSIで、1990年に開始した米国のヒトゲノム解読プロジェクトにおいて、初めて本格的に取り組まれました。具体的には、研究開発予算(総額約30億米ドル)の3~5%をELSI研究に投入し、遺伝子検査の在り方、生体試料の取り扱い、遺伝情報による差別(雇用や保険を含む)など、ヒトゲノム解読に際して予想される多様な問題についての研究が実施され、各種の政策提言やガイドラインの作成に貢献しました。こうした成果を踏まえ、米国では連邦政府が策定する各種の戦略やイニシアティブにELSIの取組が組み込まれ、ナノテクノロジー、脳科学、AI開発等へと対象を拡げています。

 

欧州におけるRRI(責任ある研究・イノベーション)の取組

 一方欧州では、直接研究開発を行う研究者だけでなく、それを推進する政府、社会実装の中心となる企業、そしてその成果を受け取る市民やコミュニティーなどの多様なステークホルダーが参画し、社会が受容可能な形での科学技術の発展を目指して、研究開発の上流から、適切なガバナンスの下で科学技術を推進する取組をRRIと称して推進しています。欧州最大の研究・イノベーション支援プログラムであるHorizon 2020においては、「市民参加」、「オープン・アクセス」、「ジェンダー」、「倫理」、「科学教育」の5つの柱を掲げ、RRIの方法論の開発や実践を行うプログラムを推進しています。例えば、Smart-MapやSTARBIOS2といったプロジェクトでは、バイオ分野の研究に焦点を当てて、産業界と市民の対話を促すためのツールの開発や、RRIに取り組むためのモデルやガイドラインの作成のための活動が行われています。

 近年は、持続可能な社会や多様な価値を反映した社会の実現が求められており、諸外国においては、ELSIやRRIによって多様な価値を科学技術イノベーション政策に反映するということを、戦略的・基盤的な柱の一つとして位置づけて取り組んでいます。

 

日本における共創的科学技術イノベーション

 それでは、日本の科学技術イノベーション政策では社会との関係をどのように考えているでしょうか。科学技術の振興の総合的かつ計画的な推進を図るため、5年毎に策定されている科学技術基本計画(以下「基本計画」という。)において、科学と社会、ELSI/RRIなどがどのように取り上げられてきたのかを概観します。

 第1期基本計画(1996~2000年度)では研究者側からの情報発信や国民の理解増進など、科学技術側から社会への一方通行的な取組が挙げられていたのが、第2期基本計画(2001~2005年度)では科学技術と社会のコミュニケーション(双方向コミュニケーション)や社会的なコンセンサスの重要性が指摘されています。さらに第3期基本計画(2006~2010年度)ではELSIを推進することが明記されるとともに、「国民の科学技術への主体的な参画の促進」などを進めるとされ、第4期基本計画(2011~2015年度)では「倫理的・法的・社会的課題への対応」や「政策の企画立案及び推進への国民参画の促進」、さらに科学技術コミュニケーションの推進を掲げています。そして現行の第5期基本計画(2016~2020年度)では「共創的科学技術イノベーション」の概念を提示し、研究者、国民、メディア、産業界、政策形成者といった様々なステークホルダーによる対話・協働、すなわち「共創」を推進することとしています。

 このように、我が国の科学技術イノベーション政策においても、社会と科学技術イノベーションの関係の深化を目指した取組の必要性が指摘されてきています。また実際に、1990年代半ばには参加型テクノロジーアセスメントの試行や、2000年代半ばにはナノテクノロジーの多面的な影響の調査検討プロジェクトなどが実施されました。しかし、これらの取組は研究者の自発的な取組であったり、時限的なプロジェクトであったりしたため、政策的に定着することはありませんでした。

 

これからの科学技術イノベーション政策

 多様なステークホルダーの参画により社会の期待する価値を研究開発に反映し、持続可能で多様な社会を実現していくという理念は、今後の科学技術イノベーション政策の根幹をなすもので、我が国の競争力強化や研究力向上のために必須の取組です。そのため、我が国の科学技術イノベーション政策におけるこのような変化への対応の遅れは、今後想定される持続可能性や価値の創造を前提とした国際競争にも影響することが懸念されます。また、こうした取組は国内だけに留まるものではなく、諸外国と協調して進めることも重要であり、そうした取組が、国際ルールや国際標準の策定などの国際貢献や国際協力などの場において我が国がリーダーシップを発揮することにもつながると期待できます。

 現在、次期基本計画の検討が進められていますが、今後ますます科学技術イノベーションと社会との関係が深まる中で、ELSIやRRIへの取組を、科学技術イノベーション政策のビジョンにおける中心的・戦略的な柱として位置づけるとともに、具体的な取組を定着させていくことが求められています。

 

 

(参考資料)
JST CRDS報告書「-The Beyond Disciplines Collection- 科学技術イノベーション政策における社会との関係深化に向けて 我が国におけるELSI/RRIの構築と定着」
https://www.jst.go.jp/crds/report/report04/CRDS-FY2019-RR-04.html

 

科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センターフェロー
科学技術イノベーション政策ユニット
吉田 和久

吉田 和久(よしだ かずひさ)

 科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センターフェロー(科学技術イノベーション政策ユニット)。2004年東京大学大学院農学生命科学研究科修了。2004年文部科学省入省。基礎研究振興、安全・安心科学技術、原子力研究開発等の科学技術政策に従事、2015-2018年在インド日本国大使館勤務(一等書記官)を経て、2018年より現職。