[編集発行] (公財)つくば科学万博記念財団 [協力] 科学技術振興機構(JST)・文科省研究交流センター

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「オープンサイエンス」VS「国家安全保障」:科学研究の制約をめぐって米国はどう対応したのか

(2020年5月01日)

はじめに
 オープンサイエンス、すなわち科学の開放性は近代科学研究のもっとも根幹的な基本原則であり、世界の科学研究をリードしている米国では、終戦直後からこの原則の最優位性を確認してきました。しかし最近では、2018年に表面化した米中貿易摩擦からハイテク技術覇権争いにまで発展した議論の中で、オープンサイエンス原則が悪用され、国家安全保障の脅威になりかねないという問題が提起されました。こうして開放性原則に制限をかける必要性をめぐる議論が、主要な連邦ファンディング機関や研究コミュニティを中心に改めて喚起されました。

 こうした動きは科学技術史の視点からみれば、必ずしも新しいものではありません。米国では、今まで繰り返し現れた国家安全保障上の課題に対して、科学研究に様々な制約が課されてきました。それらを類型化すると、①分類(Classification)による制約、②研究契約条項による制約、③輸出管理に関する法律による制約、④バイオ研究管理に関する法律による制約、及び⑤研究コミュニティによる自主制約の、合わせて五つのタイプに分けられます:

1、分類(Classification)による制約 
 東西冷戦期の1980年代に、ソ連の率いる東側諸国が米国の大学や研究機関から、軍事力を強化するための先端技術を取得することは米国の国家安全保障に対する重大な脅威であると考えられていました。この課題に直面したレーガン大統領は、国家安全保障決定189号指令(NSDD-189)を発令しました。この指令は「科学および工学における基礎的および応用的研究」によって構成された基盤研究(Fundamental Research)と制限される研究(Classified Research)を分類し、基盤研究に「最大限の範囲」を与え、それに当たった場合は「原則的に制限を受けない」と宣言しました。NSDD-189は科学研究を制限する法的ルールの基礎となって、以後三十数年に渡り、現在に至るまで科学研究における「開放性原則」の連邦規制の基礎となっています。

2、研究契約条項による制約
 一方、NSDD-189が基盤研究の最大限の範囲を確保した一方、米国では「制限されないが機微な情報(Sensitive but Unclassified: SBU)」を設定して制限する必要性について、繰り返し規制当局より提案されました。基盤研究の開放性原則を唄えたNSDD-189はその後のクリントン政権やブッシュ政権に二回に渡り追認された一方、米国大学協会(AAU)が2006年に公表した調査報告書によると、NSDD-189の趣旨に違反する恐れが、連邦ファンディング機構との研究契約の中に多く存在し、制限が普遍的に研究契約を通じて行われています。

3、輸出管理に関する法律による制約 
 米国で、研究の開放性を制限できるもう一つの法的アプローチは、本来国家安全保障と国家外交目標を達成するために設けられた輸出管理に関する法律です。それらは、国務省の国際武器取引規則(ITAR)と商務省の輸出管理規則(EAR)によって構成されています。NSDD-189で定義された「基盤研究」に属する場合、原則的としては輸出管理規制を適用しないが、軍事技術やデュアル・ユースは研究に携わった大学や研究機関が長い年間、規制当局との間の緊張関係を続けていました。また、EARの上位規範である輸出管理改革法(ECRA)が2019年に可決されました。この法律は「新興技術」と「基盤的技術」に対する輸出規制に着目し、科学研究への制限が厳しくなるという見通しがあります。

4、バイオ研究管理に関する法律による制約 
 米国の研究コミュニティに再び科学研究制約をめぐる議論を喚起させたきっかけは、2001年に発生した9.11同時多発テロ事件です。デュアル・ユース的な性格のバイオ研究はテロリストに悪用されるという懸念があり、微生物学の基礎研究へのアクセス権限を制約する法律が施行されました。

5、研究コミュニティによる自主制約
 一方、ポスト9.11時代において、生命工学研究コミュニティによる自発的な制約の試みが目立ちました。2004年に全米研究評議会の元に集められた生命科学者らが「テロリズムの時代における生命工学研究(Biotechnology Research in an Age of Terrorism)」と題する報告書(通称:「フィンク・レポート」)を公表し、研究コミュニティのセルフガヴァナンスに基づき、実験計画の審査、出版段階における審査のプロセスなどの事項に、安全保障へのリスクを最小限にする具体的な方策を提案しました。その後、連邦政府は同レポートの提言を受け入れ、研究コミュニティと安全保障コミュニティの専門家によって構成される国家バイオセキュリティ科学諮問委員会(National Science Advisory Board for Biosecurity; NSABB)を創設し、研究機構への連携や監督の役割を果たせる組織となりました。現在の生命工学研究の安全ルールは、2012年や2014年に二回のアップデートを経て、研究者、ファンディング機関及び連邦政府の役割と責務が明確にされ、米国で最も成熟した制度とされています。

まとめ
 以上、米国における科学研究に対する制約の種類と形成過程を整理してみました。一方、米国は中国と今後の科学技術の優位から世界主導権に対して、全面的な「戦略的競争」に入っている現在、科学の開放性と国家安全保障のバランス取りはさらなる困難になります。2019年より、ホワイトハウスを始め、国立衛生研究所(NIH)、国立科学財団(NSF)などの主要連邦ファンディング機関が研究公正(Research Integrity)というアプローチで、「利益相反」に関して研究者による「十分な情報開示義務」のルール導入を検討し始めました。科学の開放性と国家安全保障を両立するために、新たに提示された政策的選択肢になるかもしれませんが、単に「利益相反に関する情報開示義務」を導入するだけでは政策の目的を達成することは考えにくいです。研究コミュニティによる自発的な問題意識の喚起と自主的な対策、及び今まで関係の遠い安全保障コミュニティとの協力体制構築を含めた、より健全な制度構築が必要ということです。

 

科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)
 海外動向ユニット フェロー
張 智程

張 智程(ちょう ちてい)

 台湾生まれ、京都大学博士(法学)。京都大学大学院法学研究科助教、米ハーバート大学フェアバンク研究センター客員研究員、政策研究大学院大学台湾フェローを経て、2019年秋より現職。日米比較法学のアプローチより、技術革新をめぐる労働市場法政策、新興技術と安全保障の法政策に関する研究と政策形成プロジェクトに従事。