[編集発行] (公財)つくば科学万博記念財団 [協力] 科学技術振興機構(JST)・文科省研究交流センター

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森羅万象に潜む叡智(えいち) を求めて ~「知のコンピューティング」の挑戦~

(2019年5月01日)

                [2]を参考に筆者作成

  森羅万象【しんらばんしょう】とは、宇宙に存在する一切のもの(万物)や現象のことを意味します。明治の博物学者・南方熊楠(みなかたくまぐす) は、東洋と西洋のあらゆる知を独学で総合しようとした型破りな世界的科学者で、森羅万象の先導的探求者でした[1]

 一方で現代は、身の回りの様々なモノがインターネットにつながったIoT(Internet of Things)時代です。人々が暮らしの中で得られるデータだけでなく、森羅万象のデジタル化データも含め、私たちをとりまくデータ量は爆発的に増大しています。このような状況下で、人々が賢く生きる上での糧となる知の創造を促進し、科学的発見や社会への適用を加速することはできるでしょうか?森羅万象に潜む叡智を掘り起こすことはできるのでしょうか?

 今回はやや哲学的になりますが、データ(D)、インフォメーション(I)、ナレッジ(K)、そしてウィズダム(W)の「DIKW(Data-Information-Knowledge-Wisdom)モデル」[2]の観点から、データから知恵・英知(そして叡智 )に至る「知のコンピューティング(Wisdom Computing)[3,4]」のアプローチについて考えを巡らせたいと思います。「知とは何か」を深く突き詰めるDIKWモデルで、「D」「I」「K」「W」の関係性はピラミッドとして表現されます(付録も参照) 。「データ(Data)」は、単なる(事実や状況を表す)数字や文字列の集まりで、それだけでは意味を持ちません。データ処理により得られる「インフォメーション(Information)」になってはじめて、価値ある情報と呼べるものになります。しかしそれでも、それらを蓄積し関連付けなければ「ナレッジ(Knowledge)」として知識獲得をすることはできません。さらに、ナレッジの中から「ウィズダム(Wisdom)」を見出せなければ、人々が(過去の)知識を元に(未来に向けた)意思決定や判断をすることはできません。

 この「D」「I」「K」「W」を意識して現代社会を見てみましょう。情報科学技術の先進化により、まさに森羅万象を探求するための強力なツールが私たちの手に届くようになってきました。例えば計算能力です。かつてスーパーコンピュータを要したような並列計算がいまや10万円程度のゲーミングパソコンやハイエンドスマートフォンで実行できて、人工知能(AI:Artificial Intelligence)の核となる深層学習(Deep Learning)でさえ高速処理できるようになりました。計算能力の進化に伴い、世界の巨大IT企業は、深層学習がAIにもたらす非常に多くの可能性を先導的に探っています 。顔認識・感情認識や医療画像診断などに応用されるディープニューラルネットワーク(DNN: Deep Neural Network)技術や、ある言語から別の言語への翻訳技術、人間の話し言葉(自然言語)の意味理解のための技術などは、それこそ日進月歩の勢いで開発されています。

 「知のコンピューティング」のアプローチは、「D」「I」から「K」ひいては「W」へと、その足を踏み出し始めていると言えるでしょう。私たちひとりひとりが大量のデータを扱えるようになった現代において、人々の「集合知」によって科学的発見を加速する「予測・仮説発見の技術」をもたらし得ると期待できます[3,4]。科学的発見のプロセスは、仮説作りと観測・実験データによる反証という絶え間ない連鎖です。それは自然科学のみならず創薬や物質探索・設計といった実学寄りの応用、そして人文・社会科学にも適用可能であり、さらにはビジネスや日常生活の多くの場面でも活用できるはずです。誰もが皆、南方熊楠のような森羅万象の探求者となれるチャンスが来るかもしれません。「知のコンピューティング」が、そのような新時代を支える科学技術となることを願っています。

 

【付録:さらに深く知りたい方へ】

 「データ(Data)」「インフォメーション(Information)」「ナレッジ(Knowledge)」「ウィズダム(Wisdom)」の関係性については、下記の詩や格言が分かりやすいので、引用して紹介します。1948年にノーベル文学賞を受賞した詩人トマス・スターンズ・エリオット(Thomas Stearns Eliot: 1888-1965)は、1934年に発表した「岩のコーラス(Choruses from The Rock)」という詩劇の中で、

  Where is the wisdom we have lost in knowledge?
  (われらが知識のうちに失ってしまった知慧(ちえ) はどこか?)

  Where is the knowledge we have lost in information?
  (われらが見聞のうちに失ってしまった知識はどこか?)

 と詩(うた) っています。この詩は『エリオット詩集』として日本語訳されており、インフォメーション(information)は見聞、ウィズダム(Wisdom)は知慧と翻訳されています[5]。また、ネイティブ・アメリカンであるラムビー族(Lumbee)のことわざには、

  Seek wisdom, not knowledge.(知識でなく、智恵を求めよ。)

  Knowledge is of the past, Wisdom is of the future.
  (知識は過去の産物だが、智恵は未来をもたらす。)

 という格言があり、ウィズダム(Wisdom)は智恵と翻訳されています[6]。このラムビー族の格言は、「知識=過去(Past)のもの、智恵=未来(Future)につながるもの」という示唆に富んだ教えとなっています。

 なお、「ウィズダム(Wisdom)」の日本語訳として、英語の辞書にあるように、「知恵」が一般的に表記されていますが、優れた知恵が「英知」となり、神のような優れた英知が「叡智」となると筆者は考えていますので、上記ではあえてウィズダムという言葉を使いました。

 

【参考文献】

  1. 中瀬喜陽, 『南方熊楠―森羅万象に挑んだ巨人』(平凡社, 2012).
  2. Jennifer Rowley, “The wisdom hierarchy: representations of the DIKW hierarchy,” Journal of Information and Communication Science, Vol. 33, No.2 (2007) p.163-180.
  3. JST-CRDS, 戦略プロポーザル「知のコンピューティング ~人と機械の創造的協働を実現するための研究開発~」(2014年6月発行)
     https://www.jst.go.jp/crds/report/report01/CRDS-FY2013-SP-07.html(閲覧日2019-4-18)
  4. JST-CRDS, 研究開発の俯瞰報告書 (2017年)「システム・情報科学技術分野」3.1知のコンピューティング (2017年3月発行)
     https://www.jst.go.jp/crds/report/report02/CRDS-FY2016-FR-04.html(閲覧日2019-4-18)
  5. Thomas Stearns Eliot, Choruses from The Rock (1934), published as part of T. S. Eliot Collected Poems (1909-1962); 田村隆一 (訳), エリオット詩集 (弥生書房, 1967) p.104-143.
  6. エリコ・ロウ, 『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』(扶桑社, 2001) p.89.

 

科学技術振興機構(JST) 研究開発戦略センター(CRDS)
システム・情報科学技術ユニット 
 的場 正憲

 

的場 正憲(まとばまさのり)
 慶應義塾大学理工学部物理情報工学科教授(兼)JST-CRDSフェロー、博士(工学)。(1911年4月にカメルリング・オンネス教授により超伝導が発見されてから100年後の)2011年4月より、JST-CRDSでシステム・情報科学技術を中心とする挑戦的戦略研究領域、特に萌芽的研究領域の調査研究に従事。専門は、強相関電子物理、新物質探索(そして、計算論的思考力を持った人材の育成)。