[編集発行] (公財)つくば科学万博記念財団 [協力] 科学技術振興機構(JST)・文科省研究交流センター

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エマージングテクノロジーのELSI・RRIの実践に向けて ~RInCAプログラムの挑戦

(2021年1月16日)

 科学技術と人間・社会との関係について、わたしたちは長い歴史の中で議論を重ね、ときに戦争や激甚公害、重大な事故などの経験も経て、その調和や相互作用が重要であることを認識してきました。そして今、情報技術やロボット工学、バイオテクノロジーなどに代表されるエマージングテクノロジー(Emerging Technologies: 新興技術)の急速な進展によって、その重要性はますます大きくなっています。エマージングテクノロジーは新しい知や恩恵をもたらし、より善い社会の実現を可能にするものとして期待される一方で、地球や人類にとって不可逆的な影響をもたらす可能性もまた孕んでいます。これらの技術は加速度的に進歩し、研究開発から社会実装までのスピードが非常に速いこと、そして、人間や社会のあり方を根本から変えてしまうような圧倒的インパクトを持つことに特徴があります。また、気候危機のような人類共通の課題に直面する中で、各国がともにSDGs(Sustainable Development Goals: 持続可能な開発目標)の達成を目指す政策を推進し、市場経済においてはESG投資(環境・社会・ガバナンスの要素も考慮した投資)が拡大するなど、社会も変容しつつある兆しが見えます。今や、科学技術と人・社会との関係は拡張し、新たなステージに入ったとも言えるでしょう。

 JST社会技術研究開発センター(RISTEX)では、「科学技術と人間」領域(平成17~24年度)、「人と情報のエコシステム」領域(平成28年度~)など、科学技術と人・社会とのより善い関係について真正面から取り組む研究開発プログラムを推進してきました。そして、令和2年度に「科学技術の倫理的・法制度的・社会的課題への包括的実践研究開発プログラム」(Responsible Innovation with Conscience and Agility (通称、RInCA))を新たに創設しました。本稿では、エマージングテクノロジーのELSI・RRI[i]の定着を目指す、RInCAプログラムについてご紹介したいと思います。

図1 RInCAプログラムの目標と研究開発対象

 

 RInCAプログラムの基本方針のひとつに、「日本の文脈に根差した価値の創出」を目指す、という特徴的なものがあります。RISTEXでは、研究開発プログラムを設計する事前の検討段階で、100名近くの有識者にインタビューなどを行っています。その中で共通的に浮かび上がってきた課題が、米国や欧州で発展してきた「ELSI」や「RRI」という概念を実装するのはよいことだが、果たして日本の文脈に根差した取り組みにならなければ、輸入学問の適用だけで終わってしまうのではないか?という懸念でした。例えば、「倫理」という言葉への拒否感は日本特有のハレーションであるし、政治や科学に対する付託や信頼関係、メディアを介した科学技術コミュニケーションのあり様もまた、日本社会特有の状況があるのではないか、という指摘が多く寄せられたのです。そして、借り物ではない理念や学問として実践的に取り組み、ひいては日本発の標準化や国際ルール形成などにつながれば、真にイノベーションのナビゲーターとして機能するELSI・RRIと言えるのではないか、という議論に至りました。

 図2は、主なエマージングテクノロジーやそのELSIに関わるキーワードを例示したものです。これら日進月歩の科学技術と人間・社会との関係を深く洞察し、歴史や文化の要素も紐解きながら相互作用を生み出していく、日本発のELSI・RRIの実践に挑戦しようとしています。まさに、人文・社会科学、自然科学、ステークホルダーの知の結集が重要なポイントとなるため、RInCAプログラムでは、「研究・技術開発の『現場』との連携・協働のもとに取り組むこと」を原則としています。しかし、この原則は言うは易く行うは難し、自然発生することは難しいのが現状です。そこで、RInCAプログラムではこれをサポートするために、他の研究開発事業などとの連携や接続を含めたジョイント・プロジェクトも歓迎したり、多様な分野の研究者やステークホルダーをつなぐチーム・ビルディングのための機会を提供するなど、新たな工夫を行っています。

図2 主なエマージングテクノロジーとELSIに関するキーワードの俯瞰(例)

 

 最後に、ELSI・RRIの研究開発アプローチについて、本プログラムが3つに類型化した考え方をご紹介したいと思います。

 まずは、既にELSIが顕在化しているもの、これは事後的(ex-Post)なアプローチです。例えば、自動運転の安全性にかかる法的規制や、3Dプリンタによる個人の製造物責任のあり方、意思決定支援など広範な活用が期待されている人工知能や、植物や食品などへの応用が進んでいるゲノム編集技術の倫理的側面の配慮などが該当します。これらのELSIは、技術開発現場においてもすでにELSIへの取り組みの必要性が認識されていたり、何が問題か、ということが明確化されつつあるフェーズに進んでいます。従って、ELSIへの具体的な対応策を速やかに検討することと、それと連動して、いかに技術開発の設計などにフィードバックをかけるか、がポイントとなると考えます。

 二つめは、EISIが顕在化していない科学技術への、予見的(ex-Ante)のアプローチです。例えば、合成生物学やマテリアルズ・インフォマティクス、人間拡張工学、気候工学などが想定されます。技術が実現すれば大きなインパクトをもたらすと言われていますが、科学技術自体がまだ萌芽段階なので、将来起こり得る正負の影響やリスクをいち早く予見し、事前に調整を図るべきケースです。予見と事前調整のためには、これらの科学技術を社会がいかに受容し適応するか、という視点の議論だけでは不十分で、人や社会が「どうありたいか」という前提を見つめ直すことも重要になるため、人文・社会科学の役割が期待されるところです。

 三つめは、エマージングテクノロジー以外にも、すでに社会に浸透し始めている既存技術について、その応用や導入にあたって倫理的検討が求められるものです。例えば、自動顔認識など生体認証技術の活用とプライバシー、ブロックチェーン技術の応用におけるガバナンス、行動経済学のナッジ手法を公共政策に適用する際の倫理、感染症予防ワクチンにおける公衆衛生と個人のリスク、細菌・ウイルス研究やドローン技術のデュアルユースの問題などが想定されます。難しいELSIが多く含まれますが、一方で、その解決の糸口を考える中で新しいサービス・デザインが見出せれば、イノベーションが期待できる分野とも言えます。

図3 実践的・包括的なEISI・RRI研究開発アプローチの3つの視点

 

 新型コロナウイルス感染症の世界的パンデミックを経て、人と人とのコミュニケーションやコラボレーションのかたちは劇的に変化しました。この新しい時代に必要なELSI・RRIのモデルを生み出すためには、さまざまな人の知恵を結集し、実践を通じた挑戦と失敗を繰り返しながら模索するしかありません。それらがいつか、科学技術研究の「自然なふるまい」や「日常の営み」として定着することを目指して、RInCAプログラムはこれから複数年度にわたり研究開発プロジェクトの公募を行っていく予定です。エマージングテクノロジーの研究開発現場で起こる、汗と涙とワクワクの最前線を、あなたも覗いてみませんか?[ii]

 

科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター(RISTEX)

企画運営室 主査
濱田 志穂

 

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[i] ELSI(Ethical, Legal and Social Implications/Issues; 倫理的・法制度的・社会的課題)やRRI(Responsible Research and Innovation; 責任ある研究・イノベーション)について詳しくは、過去のトピックスもご覧ください。
「社会技術研究開発センター(RISTEX)のELSIに関する取組について」(2020年4月01日)
「科学技術イノベーション政策とELSI、RRI、そして共創」(2020年3月01日)

[ii] 2021年4月、RInCAプログラムのポータルサイトを公開予定。RIISTEXのWebサイトにてお知らせします。
https://www.jst.go.jp/ristex/funding/elsi-pg/index.html

濱田 志穂(はまだ しほ)

名古屋大学大学院環境学研究科博士後期課程修了。上智大学大学院地球環境学研究科特任研究員などを経て、2014年に入構。現職では、RInCAプログラムや俯瞰・戦略ユニットなどにてファンディングプログラムの企画設計・推進を担当。