[編集発行] (公財)つくば科学万博記念財団 [協力] 科学技術振興機構(JST)・文科省研究交流センター

つくばサイエンスニュース

ここに注目!

計算社会科学の可能性

(2018年3月31日)

図1:計算社会科学が対象とする社会

 タイトルの「計算社会科学の可能性」、これと同じ名前のセッションが、つい先日3月14日に情報処理学会第80回全国大会で開催されました [1]。この他にも計算社会科学(英語名:Computational Social Science)の名がついた様々な研究集会や組織の設立が日本において最近増えてきています。この“計算社会科学”とはどのようなものでしょうか?

 計算社会科学研究会では計算社会科学のことを「大規模社会データを情報技術によって取得・処理し、分析・モデル化して、人間行動や社会現象を定量的・理論的に理解しようとする学問」と記しています [2]。各種センサーやインターネットなどの情報技術(IT)を用いた今日的な計算社会科学研究の発展を促したものとして、2009年にScience誌に掲載された“Computational Social Science”と題した論文が有名です [3]。
 ただしITに限らなければ、もっと前から関連する研究は行われていました。1972年のローマクラブによる報告「成長の限界」はその代表例です。そこではMITの研究者により開発されたシステムダイナミクスの方法を用いて種々のデータの関係性を捉え、対象とするシステム全体をコンピュータ上でシミュレーションすることにより、人口、資源、工業化、食料、環境汚染について悲観的な将来予測がなされました。モデルを単純化しすぎているなどの批判もありましたが、当時の最新の方法を使って研究者が導き出した結果はある種のエビデンスとなり、政策立案者を動かし、その後の環境政策に大きな影響を与えることになりました。

 「成長の限界」が出された40年以上前に比べ、量的にも質的にも改善された大規模な社会シミュレーションを行うことは、現代的な計算社会科学研究において重要な方向性の一つでしょう。特にわが国は少子高齢化が進む様々な課題先進国でもあるため、進展著しい人工知能(AI)技術なども取り入れ膨大なデータをうまく処理しつつ、シミュレーションの結果を効果的な各種システム・制度の設計やサービスの創出につなげていくことが期待されます。ただし対象は社会であり、そこにはシステムの要素として不確かな行動をする人間が含まれます。また、人間は自然や人工物とも複雑に相互作用しながら社会を構成しています(図1)。そのため、ニュートンの運動方程式のように、決まった方程式に従って動く自然システムの記述とは根本的に異なります。しかし、そうした意味での厳密な将来予測はできなくても、例えばマルチエージェント・シミュレーションという手法では、人間の頭だけでは気づかなかった創発的な現象が人間行動を模した多数のエージェントの相互作用の結果として得られることがあります。それらはリスクであったりベネフィットであったりするでしょう。人間を含むシステムやサービスをつくるにあたっては様々な可能性や選択肢があるはずであり、それらの中には従来よりも効率的な資源配分で多くの人々の安全・安心、幸福感、納得感につながるものもあると思われます。
 一方で、システムの境界がある程度定まっていたり短い時間間隔であったりすれば、ある種の確率を伴って将来予測が可能となることもあるかもしれません。例えば、自然現象でも気象のような複雑現象についての予測は本質的に難しいのですが、その精度は年々高まってきています。これは時々刻々と変化する観測データを逐次、気象予測のモデリングに組み込みながらシミュレーションを繰り返していくデータ同化の手法が高度化してきていることに起因します。社会においても人間を含む様々な時系列データを用いて同様のことができるかもしれません。ただし、これらの結果は悪用される恐れもあるため、そうした面も考慮した研究も必要となるでしょう。

 他にも、統計学的手法やAI技術を駆使した、将来予測に限らない計算社会科学研究も行われています。特に、Twitterやブログなどのインターネット上の情報の分析は盛んです。また、社会現象を自然現象と同じように物理学的手法を駆使して記述しようとする研究が社会物理学(Social Physics, Sociophysics)として19世紀初頭からあり、経済物理学(Econophysics)という名でも活発に進められています。
 なお、計算社会科学という名は使っていませんが、関係する科学技術について、筆者が所属する科学技術振興機構研究開発戦略センターが発行する「研究開発の俯瞰報告書」でも知ることができます [4, 5]。
 現在わが国では、計算社会科学の名のもとに文系、理系を問わず様々な分野の研究者が集まってきています。しかし、すでに実績のある一部の研究者を除くと、こうした文理融合・分野横断的領域で研究費を獲得することは容易ではないかもしれません。一方で、どのようなアプローチがうまくいくかはやってみなければ分からない側面もあるため、科研費制度とは異なる観点で、小口の研究費でも戦略的に多くの研究者を支援する研究費制度が必要なのではないかと考えています。

 

参考資料
[1] 情報処理学会第80回全国大会イベント企画「計算社会科学の可能性」
https://www.gakkai-web.net/gakkai/ipsj/80program/html/event/A-3.html
[2] 計算社会科学研究会
https://css-japan.com/about/
[3] D. Lazer et al., “Computational Social Science,” Science 323, pp. 721-723 (2009)
[4] 研究開発の俯瞰報告書 システム科学技術分野(2015年)
https://www.jst.go.jp/crds/report/report02/CRDS-FY2015-FR-06.html
(特に「モデリング」、「ネットワーク論」、「複雑システム」区分の内容)
[5] 研究開発の俯瞰報告書 システム・情報科学技術分野(2017年)
https://www.jst.go.jp/crds/report/report02/CRDS-FY2016-FR-04.html
(特に「知のコンピューティング」、「ビッグデータ」区分の内容)

 

科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)
システム・情報科学技術ユニット フェロー
藤井 新一郎

 

藤井 新一郎(ふじい しんいちろう)
 2000年九州大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了(博士(理学))。理化学研究所基礎科学特別研究員、九州大学高等教育開発推進センター助教、東京大学大学院理学系研究科特任准教授などを経て、2013年より現職。主にシステム・情報科学技術分野に関する研究開発の俯瞰報告書や戦略プロポーザルの作成に従事。